1899年(明治32年)京都と福知山で運行が開始された山陰本線。
昭和40年代までは蒸気機関車も走り人々の生活を支えていました。
保津峡に沿って走る姿は風情がありましたが、1989年(平成元年)に輸送力を改善するため保津川沿いの曲がりくねった線路ではなく、その越えていた山々にトンネルを通す最短ルートが設置されました。
これによって従来の線路は廃線となってしまいました。
しかし、この場所は京都西部の嵐山から保津峡を渡り亀岡へと抜ける美しい自然に恵まれた全国屈指の景勝地。
この廃線は景観を生かすため、観光列車の線路として再利用されることになったのです。
そこで新会社の社長として白羽の矢が立ったのが、
嵯峨野観光鉄道の前・社長、長谷川一彦さん(72歳)(2019年4月現在) 。
復活させた長谷川さんはどんな人??

1990年当時44歳、JR西日本で部下100人を率いエリート街道を進んでいました。
しかし、なぜか左遷。
周囲からは3年持てば御の字とも言われていた、従業員9人、資本金2億円のこの新会社への突然の辞令でした。
年間乗降予測26万人、開業までたった1年。
託された人材も、資金も、時間も少ない逆境からのスタートに、長谷川さんの不屈魂は燃えたのでした。
復活までの道のりとは??

目標はただひとつ。
保津川沿線の景観を楽しんでいただける観光列車をめざす。
お金がない中で、取り組んだのは、住民を巻き込んだ取り組みでした。
桜やもみじなどの植樹を行った。
「将来はピンクの桜のトンネル、新緑や紅葉のもみじのトンネルをトロッコ列車がくぐって、お客様に感動を与える」。
そんなイメージを描くと植樹後の養生作業も苦にはならなかったという。
肝心の電車がない・・・

沿線の整備が進み、駅舎を建設すると残った資金は5000万円。
この金額では肝心の車両にお金をかけることができません。
そこで、長谷川さんは、電車ではありえない、ある特徴を持った電車を探し始めます。
その特徴とは・・・
トップ企業のアイデアはここ!

面白い電車
電車に、安い、古いはありますが、面白い、面白くないなんてあるの??
なんて思うところですよね。
でも思い返してください。
子どもに時に遊園地で乗った、電車アトラクションのことを。
関西の社長ならではの発想で「面白い」電車を探すことになります。
そこで目をつけたのがトキ25000形貨物という中古の貨物車。
これに椅子や窓を取り付け客車に改装します。
「嵯峨野トロッコ列車」は、この素晴らしい景観をもっと楽しんでいただこうと、他の電鉄会社にはないサービスを行っています。
それは・・・
マネしたいポイントはここ

保津峡に差し掛かる一番景色のいいところで、列車を止めるのです。
止めて景色をたっぷり楽しんでもらうんです。
お客様は皆さん写真を撮ったり景色にただただ見とれていたり。観客は運行中の列車が止まる非日常を楽しんでいるのです。
電車はというと、窓ガラスの入っていない車両。
そのため、風雨が入り込み、板バネに木製の椅子で乗り心地は悪い。
足元から下が透けて見え、鉄橋を渡る時はヒヤリとする。
裸電球でエアコンなどついていないが、保津川渓谷の季節の移り変わりを身体全体で感じとれる。
ガッタンゴットンという懐かしい車両の音も聞こえる。
あえてアコモデーション(車内装飾)に手を加えず五感を研ぎ澄ませて楽しんでもらいたいと考えた。
お金がないにも関わらず広告依頼はシャットアウト

人気になった一つとして、「広告看板を設けず、景観を守り通したこと」です。
「500万円、1000万で広告看板を!という依頼はあったのですが、全部断ったいいます。
喉から手が出るほど欲しいはずだった広告料だったのですが、財産になるであろう嵯峨野の景観保全を選択したのでした。
自然の景観を守るのは素晴らしいことですが、リスクも。

長谷川前社長の後を受けた現社長の西田哲郎さんはこう言います。
「もともとは災害対策も兼ねてトンネルを堀り、直線ルートを通しました。うちは小さな組織ですから、自分で見られるところはきちんと見て皆さんに安全に観光列車を楽しんでいただきます」
と。
西田さんも先頭に立ち連日、落石や倒木のチェックに余念がありません。
その後の成功

長谷川さんを始め9人でスタートした嵯峨野観光鉄道は、当初23万人の乗客数を予想していました。
しかし1991年の開業年には69万人と予想の3倍のお客様がトロッコ列車での観光を楽しんだのです。
そして2015年度には乗客数123万人、年商10億円(2019年3月現在)を売り上げる、JR西日本ナンバーワンの子会社に成長。
オンリーワンを目指していた会社は、結果、ナンバーワンも勝ち得たのでした。
あとがき

「リアル桃太郎電鉄」という、テレビゲームの桃鉄を実際の鉄道を使って競うイベントを日本各地のやってきたことがあり、5年ほど前に京都嵐山で開催しようと、嵐電の乗り倒したことがあります。
嵐電停車駅周辺も歩き回り、そしてリサーチ中に、北野天満宮という、京都でも屈指位の金運神社らしく、そこで宝くじを買ったのです。
宝くじなんて、300円以上当たったことなかったのですが、そこでは10000円が当たってしまい、これは京都に運があるぞ!
と意気込んでいたのですが、大人の事情より開催が出来なくなりました。
大人の事情を乗り越えられる大人に…
いや、大人の事情に巻き込まれないお仕事スタイルにしたいものです。

放送作家・演出家・地域戦略アドバイザー
1977年生まれ 熊本県天草市出身
株式会社ドーンマジック 代表取締役